| 唐突にやってくる日に、どうやって備えたらいいだろうか。 いつも「来るかもしれない」と気を張っていればいいか、それとも完全に忘れ去りその日に嘆くか。 後悔しない選択は一体どこ? わかれば、少しは楽だった。 グリーンメモリーズ 5 いつもの時間、いつもの食堂。 レイシー、エルーダ、そしてエリエステスは同じ席につくと手を合わせた。いつも通り人が多く、中々目当てのランチを口にできないのだが、今日はそれぞれ希望通りのメニューとなった。それだけで笑顔になれるが、エリエステスは沈んでいた。いただきますを言ったものの、フォークは空中を彷徨うばかりだ。 「んー?どうかしたのか?」 エルーダはいつもの筋張った肉を頬張ると、首をかしげた。 「いや・・・その・・・」 エリエステスにしては珍しい返答の仕方だ。おどおどするばかりで、言葉にならない。エルーダはフォークで肉をいじりながらレイシーを下から見上げた。その目はいやらしく、半眼だ。こういった目の時、彼は大抵レイシーが嫌がることを言う。 レイシーは幾分か構え、「なんだ」と努めて冷静な声で尋ねる。 「・・・何かしたか?」 「何を」 「俺の知らないところで、何かあっただろう。・・・たとえば、部屋で・・・」 「バカか」 レイシーは一蹴すると、少し怒った様子でスープをかきまぜた。 その様子を、エリエステスは不思議そうに眺めた。 「何か?」 「いや、何でも」 エルーダは笑顔の形だけ作ると、水を飲んだ。 「で?何か言いたかったんじゃないか?」 「あ・・・まあ・・・。・・・その、なんだ・・・」 「らしくない。何か悪いことでもあった?」 「ん・・いや、むしろ喜ばしいことなのだが・・・」 エリエステスは口をもたつかせ、フォークをいじっては下に置く。落ち着かない様子、とはこのことだった。いつもは鋭い目も今は空中ばかりを泳いでいる。 エルーダとレイシーは互いに顔を見合わせてみたが、答えはでるはずがなかった。 「気分悪いな。早く言えよ、エース」 「確かに・・エルーダの言うとおりだな。・・よし、言おう。・・・実は、・・・城に勤めることになった」 「え」 エルーダとレイシーの声が見事に重なった。カエルが押しつぶされたような奇妙な声のトーンまでそっくりだ。 思わずエリエステスの方が驚き、まじまじと二人を見つめた。 「驚くのも・・まあ、無理ない。まだ卒業してないしな。・・・・でも、家から手紙が来てな・・・」 「そんな・・・唐突すぎる」 レイシーは立ち上がりたい衝動を必死に抑え、ひたすらフォークを握りしめた。 人々のざわめきが消える。あれほど聞こえていたあたりの不協和音がぺたぺたと集まって塊となり、どこかへまとめて消えてしまったようだ。ぽっかりと空いた空間に、レイシーとエルーダ、エリエステスは取り残される。 申し訳なさそうにエリエステスは顔をしかめ、水を含む。 「・・・・以前から手紙は来ていた。・・・だがまだ学ぶべきことがあると、断っていたんだ。しかし今回は・・・。・・・続きは私の部屋で話そう。二人とも、午後の予定は?」 「なし」とレイシー。 「微妙」とエルーダ。 「・・・微妙って・・エルーダ、授業あったよな?」 「年中無休ですから。レイシーたちと違って。・・・でも今回は、まあさぼるよ」 「だったら、放課後でいい。さぼるな、ちゃんと学んでいけ」 「エースは真面目だなあ」 エルーダはくるくるとフォークを回すと、肩をすくめて笑った。 「わかった。ちゃんと授業に出ることにしよう。・・・そろそろチャイムが鳴りそうだから、これで」 「ああ。じゃあ授業が終わったら私の部屋へ。場所はわかるか?」 「前に聞いたから大丈夫」 エルーダは軽くウインクをすると立ち上がり、いそいそと食器を置いた。もう昼休みも終わりだ、人はほとんどいないので込み合うこともない。すんなりと食器を置き「じゃあ」と彼は片手を上げて外に出ていった。 残された二人はしばらくぼんやりとエルーダの飄々とした後姿を眺めた。 「もしかして・・・いつかの、「用事」って・・・・」 「・・・・そうだ。・・・手紙が、来ていた。すぐに返事が欲しいと言われ・・・・」 「相談してくれればよかった」 「・・・すまない。・・・・何となく、できなかった」 二人も食器を片づけると、元の席に戻った。始終会話はない。誰もいなくなった食堂はがらんと広く、寒々しい。人がいなくなったとたんに床や机や天井の汚れが目立ち、くすんだガラス張りの壁が息苦しく見える。 二人はぼんやりと向かい合い、お互いの手を見つめた。組まれたまま動かない指は肉の塊にしか見えない。 最初に切り出したのはエリエステスだった。顔は上げず、指につぶやく。 「最初は、行こうかと思った。もしこの手紙が来たら、さっさと出ていこうと思った・・・・でも、躊躇した。私が城に行ったら、もうこういう生活はできないんだと・・・未練に思ってしまったんだ」 レイシーは黙って頷いた。何の肯定かは自分でもわからなかったが、頷くしかできない。 「・・・・レイシー。訓練に行こう」 「・・・待って。・・・・じゃあ今回はなぜ行こうと思った?未練は、もうないのか・・・」 「もちろん・・・ある。卒業を待ってから行けばいいと・・そうすれば未練なく、城へ行ける。・・・また事情は後で話す。エルーダにもちゃんと言っておきたいしな。・・・さあ、行こう。今日こそ私に勝てよ、レイシー」 エリエステスは立ち上がり、レイシーを見下ろした。蛍光灯と真っ白な日差しを背景に背負った彼女はやはり雄々しい。輪郭は光でぼやけていたが、それ以上に溢れる強さが彼女をしっかりと形として浮かび上がらせていた。 レイシーはまぶしい、と思いつつも彼女をしっかり目に収めた。 これでもう、こうして彼女を見ることができなくなるのだから・・・・。 チャイムが鳴った。二人は剣を止め、タオルで顔をぬぐった。何も言わず、何も言えず、ひたすらに剣を振りまわしていたせいだろう。滝のような汗が頭から噴出していた。 「今日はいい試合だったな。いつもより勝ちが多いじゃないか」 「慰めはいらないよ・・・・負けは負けだ。勝ち点が多くなっても、最終的にはエースの方が多い」 「はは、そうか。いい加減、私より強くなれよ」 エリエステスはタオルの隙間から目をのぞかせると、意地の悪い笑みを浮かべて鼻で笑う。声はタオルに吸い込まれたはずなのだが、レイシーには嫌というほど聞こえていた。 「わかってるさ。絶対に、君より強くなる。・・・・なんて、言う日が来るとは思わなかった」 「はは、そう拗ねるな。・・・まだ私はしばらくここにいる。その間に、勝っていけばいい」 「どれくらいの間?」 「そうだな・・・二週間か・・・そのあたりだ」 レイシーは頷き、タオルで頭をかいた。汗は拭っても拭っても噴き出る。訓練室は閉め切ってあり、人の出入りもあまりない。いつもだったら数人いるのだが、今日は二人だけだった。ただ力を付けるだけでなく、頭の問題もある。なので筆記試験というものもあった。もうすぐその試験が近い・・・他の人々はそれでいないのだろう。 エリエステスは水を飲むと、レイシーにも渡した。彼はすぐに受け取ると、浴びるように飲んだ。 「エルーダの授業も終わっただろうな。・・・・私は先に行ってシャワーを浴びてくるから・・・そうだな、三十分ほどしたら来てくれ」 「わかった」 「じゃあ」 エリエステスは笑い、大股で外に出ていった。レイシーは彼女の姿が見えなくなるまで見守ると、その場に倒れるように壁に寄りかかり、しゃがみこんだ。 打ち終えた後は体も心も高揚しているため、疲れよりも喜びがあふれ出る。汗と共に噴き出すのは、充実感や金属が重なり合い、筋肉が収縮する力のたくましさ。これでまた強くなれると思うと、思わず駆け出したくなる。 しかしその後に訪れるのは疲労。いつもだったら気分が高揚したままなので疲労はそれこそ「充実感」で終わる。 今日は心が沈んでいた。 もう少しで、この充実感は味わえなくなる。剣が重なるたびに響いてくる、彼女の吐息も聞けない。 なぜこんなにも乾いているのだろう。 そっと両手を見つめる。真っ赤に膨れ上がり、肉刺が潰れている。何度も重い剣を受けたせいだろう、かすかに震えもきている。 何を恐れる、レイシー・コーズウェル。 レイシーは手を叱咤し、強く握りしめた。ひりつく痛みが手のひらを襲うが、気にならなかった。 それよりも潤いが欲しい。 レイシーの脳裏にふとエリエステスの姿が浮かんだ。 どうしてここまで彼女の姿が浮かぶのだろう。 少しだけ浮遊した心に杭が刺さる。 エリエステスの、猛々しいその背に、なぜか見たことのない女王の姿が、浮かんで、彼女を、捕えていた。 獲物をとらえる、蜘蛛の巣よりも太く、粘着質な糸が、彼女を覆っている。 レイシーは初めて女王を憎い、と強く思った。 そして彼女の声や言葉で、殺意すら芽生えた。 エルーダと共に訪ねた部屋に、彼女はいた。あの珍しい姿はしていない、ハイネックに細身のズボンというスレンダーな姿だ。 その、いつもの、変わらぬ姿で、彼女は言う。 「女王に、呼ばれたんだ・・・・城で働けと。軍人になり、私の傍に仕えろと」 抗えない。 抗えない。 「って・・・女王自ら!?すごいな、それ!」 エルーダは興奮しながら背筋を伸ばしてエリエステスに近寄った。あまりに瞳を輝かすので、エリエステスは口元を押さえて苦笑してエルーダの顔を押さえた。 「近い、近い。・・・兄が城に勤めていてな。その、まあ、経由で来たんだ」 「さっすがだな!へえ〜・・羨ましいなあ」 「そうか?」 思わず返事を返したのはエリエステスではなく、エルーダの隣にいたレイシーだった。彼は少し俯きながら壁にもたれかかっている。 あまりに冷たい声に二人は目を丸くしてレイシーを見たが、彼は気付かずため息すらついた。 「・・・喜んでは、くれないのだな」 エリエステスは姿勢をただすと、目を細めた。口元は笑っているが、目は沈んでいる。猛々し藍色も今は悲しげに影を残している。エルーダも顔を引き締めると、レイシーを見つめた。 「レイシー。・・・女王直々だぞ?友として、祝福しろよ」 「・・・ああ、喜んでいる。祝福している」 「そんな棒読みで、気持ちが伝わると思ってるのか?」 レイシーはちらりとだけエルーダを見たが、何も言わなかった。冷たく尖る瞳が訴える。女王だから、女王だから祝福し、いなくなることを喜べと言うのか。エルーダにそれが通じたのかはわからなかったが、彼はレイシーの隣に黙って座ると、うつむいてしまった。 エリエステスは申し訳なさそうに頭を垂れると「相談もなしに、いきなりですまなかった」と小声で謝った。彼女なりに考えていたのだろう・・その声は心底申し訳ないと、震えていた。 「・・・二週間したらここを出る予定だ。・・・・呼んでおきながら・・すまないが、一人にしてくれないか?」 エルーダは立ち上がりながら頷き、そっと無言で出ていった。 「・・・レイシー。お前もだ。・・・少し、考えたいことがある」 「その話、俺には聞かせてくれないのか?」 「・・・私の中で解決したい」 エリエステスの口が閉じた。それ以上待っても言葉は出てこないようだ。 レイシーは無言で立ちあがると、扉に手をかけた。ドアノブがやけに冷たく感じるのはなぜだろうと思いながらゆっくりひねる。 「夜、来ても構わないか?」 「ああ。・・・コーヒーが切れたから、適当に飲み物を持ってきてくれるなら」 わかった、とレイシーは片手を上げると足を引きずりながら出ていった。気持ちがどうしても重く、体は未練だと叫びたいのだろう。実際、彼は何かを叫びたかった。その言葉がどういったものかわかれば、すぐにでも叫んでいたかもしれない。 喉が渇く。体が飢えている。 渇望。 求めるものがわからない。 日差しが美しく廊下を照らす。女王の紡ぎだした、力が。 どれに罵倒すればいいのだろう。 レイシーは訳も分からずのたうち回りたい体を押さえ、壁を殴った。 |