「ふ」

 最初に場の空気をやぶったのは意外にもパディだった。彼は目を瞑り、腕を組む。口はこれでもかと平たく引き伸ばされ、端は痙攣している。一目見て誰もがわかる「怒り」と「あきれ」そして「焦り」の顔だ。


 パディは艶やかな髪を揺らすと、もう一度勢いよく鼻で笑いを飛ばした。


「で?どれが王女だって?」


 パディは目を瞑ったままだったが、目の前にいるエリエステスがこちらに振り向き、何の混じりけもない爽やかすぎる明るく眩しい笑顔を浮かべている、というのが見えた。


 その通り、エリエステスはいつもの頑固な岩のような男らしい笑みではなく、女の匂い薫る笑みを浮かべてパディを見た。


「はっは。そうして目を瞑っていたら見えるものも見えないぞ?」


 言い終えると同時に、パディの口はさらに引きつり、エリエステスの笑みはさらに深まった。


「いい、目を開ける必要はねえ!ここにいるのは俺、あんた、ぼんぼん兄さん、なんかいるアレだけ。こんな限定されてる中、開けなくてもいいだろ?OK?」
「はっは。私の口調が早くもうつってるではないか、パディ・デュランダ。でもまあ、未来の嫁なのだからしっかりと目に納めてくれなくては」
「だから、とりあえずいいって」
「遠慮はいけないな、若いの」


「あの・・・・・・・」


 二人のやり取りと表情を交互に見ていたカルアはようやく口を挟む。妙に場に浮く白い手袋が虚しく宙を彷徨う。


 おろおろするカルアに二人は同時に向き、「ん?」とそのままの表情で向いた。


「時期女王のウナ様でしたら目の前に・・・・」


「うわあああ!俺に現実を突きつけるんじゃねえ!」


「はあ?」


 

 パディはここに来て初めて感情を思いっきり吐き出した。




 

 

        レッドゾーン5



 

 女王、と聞けば誰もが威厳と美麗をかもし出す優美な姿を想像するだろう。人形よりも生きた、生きている人間よりも異質な、とても素手で触ってはいけないような肌と髪を持つ人間にして人間ではないような、人物。それが女王。


 黒に沈んでいたパディもそれぐらいの想像と少々の隠し味である憧れを持って、女王とはいかなるものかと頭の中に「形」を持っていた。


 

 しかしそれは一瞬にして粉々になり、大気に還っていった。


「・・・・・・嘘だろ・・・・」


 確かに女王ではない。しかし時期女王になる人物。イコール、女王と同質のもの。
 単純だが、しっかりと方程式はできあがっていた。


 パディは宝石でも埋まってるのかと思うほど透き通った瞳をこれでもかと見開き「それ」を凝視する。


 一瞬でも眩いオーラを見せたのは気のせいだろうか。そこにいるのは女王と呼ぶにはあまりにも遠い位置にいる人物だった。


 まず、何かの塊のようだった。それは目深に被ったフード、くすんだ色をしたワンピースのせいだろうか。パディよりも華奢な体つき、ぽりぽりとやせ細った手足。フードからこぼれる髪は短く、色が薄い。さらに髪は整えていないのか、片目だけが覗いていたがその瞳に光りはない。年はパディと同じぐらいだろう・・・・その年頃の子というのはもう少し瞳に輝きがあるのものだ。現にパディも文句は言えど、光りは強い。だが、その人物に光りはほとんど差し込んでいなかった。太陽の祝福を忘れ去ったようにどろんと目を伏せている。


 小さな動きをしながら次期女王候補はゆっくりと顔をパディに向けた。


 その歴史的出会いに、誰もが冷や汗を流した。


「・・・・・・・・・」


 パディは目を見開くのをやめ、これでもかと・・・それでも小型犬が牙を向く程度の威嚇をしてみせたが、女王候補は見つめたまま微動だにしない。


「死ね」


「・・・・・・・・・」


 全員が再び硬直した。


「死ね」


 たった一人を除いて。


「死ね」


 パディは先ほど見せた怒りとあきれと焦りの表情を浮かべた。口はこれほどまで広がるのかと驚かせるほど平たく伸ばし、引きつらせた。


「・・・・・・おい」
「・・・・エースでいい、と言ったぞ」
「・・・・・・エース」
「何だ?」
「・・・・・・これはこいつの鳴き声か?あ?」


「死ね」


 はは、とエリエステスから乾いたわざとらしい笑い声が耳を掠める。


「何を言ってるのだね、パディ・デュランダ・・・・鳴き声というのは我々のように言葉を発せぬ動物が上げる声のことではないか?」


「死ね」


「・・・・・俺もそう思ってたはずなんだがな・・・・」


「死ね」


 数度目かの沈黙。パディもエリエステスも、おろおろしていたはずのカルアも硬直して女王候補の存在を視界から消した。


「死ね」
「ぐあああ!う・る・せ・え!」


 またも女王候補の口が開かれたと同時にパディは限界に達した。甲高いはずの声は低くぐもり、肺よりもずっとした・・・腸あたりから声という声を吐き出す。


 パディは小さな頭を抱えてぶんぶん振り「何なんだ!」と繰り返した。


「何なんだよ、てめーら!あ?全員そろってクソか、死ね!むしろクソの中につっこんで死ね!」
「はは、パディ・デュランダは近くにいた人の影響を受けやすいようだな。もうウナ様の口調がうつってるぞ」
「うつってねえよ、この筋肉女!これは一体何なんだ!」
「は・・・・」


 二人が無理矢理引き裂いた沈黙というベールが粉々になったせいか、固まっていたカルアも時間を取り戻し、体を一瞬振るわせる。


「貴様!パディ・デュランダ!ウナ様に向かって「これ」とは・・・・」
「うっせえ!プリン男!てめーは大人しくコレに食われてろ!」


 これ、というのは言うまでもなく女王候補・ウナのことである。一応でもウナは女王候補という世界の柱的存在になりうる人物、国といわず世界からも優遇される身だ。国やしきたりを重んじるカルアにとってその扱いはかっ、ときたのか顔を真っ赤に腫れあがらせて「ウナ様に向かって!」と吼えた。


 カルアはウナに手を向け、さらに吼える。


「ききき、貴様・・・ウナ様が一体どれだけ重要人物か・・・・」


 言い終える前にごり、と間接が痛くなるようなぐぐもった悲鳴がどこからともなく届く。


「あ」


 パディの声とエースの見開きが同時にカルアを向く。


「・・・・・・・・」


 カルアは一瞬、事態が飲み込めていないようにそのままの姿勢で瞬きをする。赤い顔はもうなく、代わりに青い色素が上から降り立つ。


「・・・・・・・・」


 カルアはゆっくりと音のした方を向く。首から軋む音が聞こえてきそうなほどゆっくりと、慎重に。


「まずい」
「〜〜〜〜っ!」


 カルアはその場に倒れこむようにしゃがんだ。


「まずい」


 ウナはもう一度つぶやくとぺ、と吐き出すようにカルアの手袋を吐き出した。うずくまるカルアの手にはくっきりと歯形が浮かび、うっすらと血を帯びていた。


「・・・・・エース。こいつは肉食か?俺は餌か?ああ?」
「まあ、あながち間違ってはいないが・・・・・ウナ様は肉は食えど決して人間を食うなどということはない。それは各国共通だと思うが」
「・・・・・じゃあなんでこいつ、このプリン男を食ったんだよ」
「食ってはいない。噛み付いただけだ」


 ふいにパディとウナの目が合う。光のないウナの瞳はパディを捉えているかどうかはわからなかったが、顔の位置を変えずもう一度「まずい」とつぶやいた。


「ウナ様はどうやらカルア少尉の手が好みのようだ。先ほども噛まれた跡があったな。はは、色男は辛いところだなあ、カルア少尉」
「はん、本当にプリン男だったんだなあ・・・・」


 カルアはぐっと眉毛と目に皺を寄せて怒らせパディを睨んだが、彼はそっぽを向いて軽く笑っていた。しかしそれ以上怒りを露にせず、すっと立ち上がって手袋を拾った。


「・・・・エリエステス大佐・・・・そのような言い方は止めてください・・・」
「おやおや、気に食わなかったか?それは謝ろう、カルア少尉」
「・・・・・・・・」


 カルアは何か言いたそうにエリエステスを上目に見たが、何も言わないまま一歩後ろに引いて背筋を伸ばした。途端に軍人特有の置物のような姿に戻るのをエリエステスは横目に入れると、ふふと笑ってパディに向きなおした。


「さて、おふざけもここまでにしょう・・・とはいえ、ウナ様は見ての通りのお方だ。先ほど説明した通り、ウナ様の心を開いてほしい」
「NO、と言ったら?」
「選択肢はない、と言ったとおりだ。ここでもお前に選択する余地はない。・・・・さて、互いに自己紹介でもしようか」


 エリエステスはたくましい足を一歩踏み出すと、パディとウナの間に入った。


「ウナ様。こちらが新しい遊び相手のパディ・デュランダです。気軽に、適当に、まあ体が壊れない程度に遊んでやってください」
「おいおいおい!んだよ、その説明・・・・・」
「ぴいぴいうるさいぞ、ハニーちゃん。そしてこちらがウナ様。幼少の頃より心を閉ざしている。まあウナ様の過去は説明するに至らないだろう。さあ、握手でも」


 かちん、と歯が鳴った。エリエステスは笑顔のままウナを見ると彼女は獣のように歯をむき出しにしてかちかちと何度も歯を鳴らしていた。それは獰猛な生き物が見せる威嚇の姿を丸写しにしているように見えた。


 つ、とパディとエリエステス、そして置物のように静かに立っているカルアの頬に汗が一筋流れる。


「・・・・まあ、こんな感じのお方だ。仲良くやるように。くれぐれもお互い、傷つかないように・・・」
「無理があるだろ・・・それ・・・」


 エリエステスは何の反応も示さないまま扉へ向かった。


 パディは文句を言いたくてしょうがなかったが、あまりに突然なことが、あまりについていけない展開に声すら失い、判断するという能力をも失ってただその場に立ち尽くした。


 誰もしゃべらなくなった部屋では虚しく、ウナの歯の音が急き立てる秒針のようになり続けていた。






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