| 赤い炎が舞う。鳥のように自由にはばたき、空を焼き尽くす。地鳴りが雄たけびを上げ、生の賛歌を延々と歌う。 レイシーは冷たい瞳に赤い景色を映し、窓枠から離れた。銀色の髪が儚い音を立て、剣は引き抜かれる。 「エリエステスが来る」 パディは壁によりかかりながら、レイシーをつま先から頭まで眺めた。痩躯の体は窓の外の景色を受け、赤く染まっている。端正な横顔、針のような髪、つんと立つ鼻。どれも作り物のようだが、隠し切れなかった心は――今もなお彼女の名を呼ぶ。 パディは一旦目を閉じると、もう一度レイシーを見上げた。確信を持った翡翠色の瞳が凜、と輝く。 「ずっと、待ってたのか?エースを」 多分それが一番の正解だ。返された目線は、そう物語っていた。パディの妄想が正解であれば、この戦は――なんて虚しいことだろうか。 ブルーオブゼロ 16 穏やかな道筋だった。外では変わらず爆音が響き、地面は時折揺れる。廊下の奥へ進めば進むほど、なぜか体は傾き、斜めに斜めに歩いていくような、螺旋階段を回るような眩暈を覚えたが、静寂がそうさせるのだろうか、心は透明だ。軍人の姿はない。屍もない。影の姿もない。誰もいない。 これが世界の終末というものだろう。いつ圧迫されて死んでもおかしくない、騒音と静寂の狭間。赤い光だけが細かく点滅し、人の姿は何一つない。たった一人取り残されたこの場所は終焉。一歩踏みしめるたびに、それは寒気と共にエリエステスを襲う。恐ろしさも快感も失われ、あるのは最後という言葉のみ。 エリエステスは立ち止まると、目を閉じて剣を引き抜いた。刃こぼれが激しく、使い物にならない。脂と血の滲む刃はもう光らない。鈍い色だけを見せ、エリエステスの姿すら映さなかった。 それでも、無言で切っ先を突きつける。その焦点はレイシーにあった。幼馴染である、旧友へと吸い込まれた。レイシーもまた、切っ先をエリエステスに向ける。昔から変わらない構えは隙がない。彼はエリエステスが来るまで首席だった。 「リーレンを打破したか」 「当たり前だ」 「残るは私と君、そして鍵だけ。君は何を選ぶ?」 エリエステスは一歩近づき、パディへ一瞬だけ目配せした。下がっていろ、その意味は通じ、パディはゆっくりと這うようにその場を離れた。 「エース」 「パディは黙っていてくれ。私はやるべきことがある。だから、お前は見ていろ。色彩の鍵」 「けど、」 パディはそのまま言葉も唾も飲み込んだ。不安げに揺れる翡翠の瞳だけが強く訴えているが、エリエステスはあえてそれを見なかった。色彩の鍵が映すこれからの映像はどうやって消化され、未来へと続くのだろうか。エリエステスはそんな夢想に一瞬だけ浸ると、すぐさまレイシーを強く睨みつけた。 「どうやっても君は女王を取るのか」 切っ先が交わるのは瞬き一つ許されない呼吸の後だった。甲高い金属音が一つ響くと、二つの剣は離れ、音は消えた。それが合図だったかのように、二つ三つと剣は激しく交わされ、その度に金属音が火花を散らした。お互いの悲鳴のように、剣は何度も何度も交わり、離れる。 「学生の頃を思い出す」 エリエステスのつぶやきは金属音に消される。レイシーの顔は剣で見えない。時折青く輝く銀色の髪だけが、辛うじて彼の姿を見せた。ライラックの制服は最早褐色に錆び、原色が消えていた。 「お前と初めて出会った時……あれが私にとって本当に最初の試合だった」 「無駄口を叩いている暇はない」 レイシーの剣が一閃した。迷いのない、彼らしい刃だ。まだ銀色に輝くことを覚えている剣をエリエステスは軽くかわし、口元を緩めた。 「同時に、初めて人と関わりを持った瞬間だった」 金属音が響くたびに、心が学生の頃へと逆流する。一つ、一つ、くるまれた記憶を大切な宝物のようにそっと解き、次第に心を和らげていった。それでも手は相手を倒すことのみ集中している。体に染み付いた闘争心は尽きることがない。相手が反応するたびに刺激され、高まった。 「それまで、私は女王しかいなかった。女王が作ってくれた道、世界、それが全てだった」 「黙れ」 「全てをくれた女王に、私は私の全てを捧げることを誓った」 痺れが全身にいきわたる。懇親の力を持って打ち込んできた剣がエリエステスの剣ごとダメージを与える。だが、その踏み込みは一瞬の隙を作る。それを見逃すエリエステスではない。低く溜め、切っ先を懐へ入れる。レイシーもそれを見破れないほど弱くはない。あっさりかわすと、再び攻防戦が始まる。 「でも……私は知った」 一際大きい音が、銀色の羽が舞う。それが剣だとわかったのは、切っ先が床に刺さってからだった。痺れに、反り返る手を握り締めたのはレイシーだった。彼は顔中にしわを寄せると、エリエステスを睨みつけた。いつかの再演をエリエステスはひたすら穏やかな気持ちで見つめた。 笑みを閉ざす。耳に聞きなれた騒音が届いた。赤い制服を揺らし、扉は破られる。エリエステスは振り返ると、見慣れた軍隊――ぼろぼろになりながらも威光を保つラスティカ軍を見た。彼らはすでにマルファ軍の事は知っているだろう。剣を一斉に掲げると、レイシーという消失点に行き着く。エリエステスは最後の力を振り絞り、柄を握り締めた。 「マルシャル=レイシー!よくもラスティカを裏切ったな!」 「お前が全ての根源だったのか!」 「エリエステス大佐!止めを!」 ようやく聞く生命の声をエリエステスは体に行き渡らせる。思い描いていた未来そのものだった。 「君に殺されるなら本望だ。それで君が私を忘れないのであれば」 「昔からそうだ。お前はすぐに拗ねる」 エリエステスは笑った。それこそ再演である。エリエステスという人間が始まった最初の景色。最後の最後でそれを見れたのは幸せなことなのだろう。しっかりと心に焼き付ける。迷いはなかった。 エリエステスは剣に光を灯した。おぼろげながらも何とか輝く刃は幻影に過ぎないかもしれない。けれど、夢を叶えるには十分な光だ。その切っ先を、ラスティカ軍に向けた。味方である赤き制服へと。 「逃げろ、レイシー」 「どういう、つもりだ」 レイシーは訝る。片目を吊り上げ、エリエステスを凝視した。推し量る彼の視線をエリエステスはただ受け入れる。そこに何の感情もない。 「エース……」 レイシーは目を見開いたがエリエステスの眼前にそれはなく、ただただ驚愕するラスティカ軍の姿が広がる。 ――いずれ裏切るレイシーを守る。それだけがエリエステスとしての望み。一縷の希望。唯一の残っていた、本当のエリエステスの心。女王に染まらなかった、白い塊だった。 「パディ。これが結末だ。しっかり覚えていてくれ。伝えなくてもいい。残さなくてもいい。でもお前だけには覚えておいてほしい。色彩の鍵。未来への扉を開ける鍵……」 「ば、馬鹿野郎……な、なんだよ、それ……何やろうとしてんだよ!」 「私はあいつを守りたい」 エリエステスの人生は終わった。全てを鍵に託すと、レイシーを、パディを通り過ぎて剣を振るった。 「リーレン!今だ、早くレイシーを!」 「わかっています!」 壁の奥から多少疲労したリーレンが顔を覗かせる。無愛想な顔つきは変わらず、淡々とした仕草もいつも通りだ。彼女は何の感慨もなくレイシーの腕を引っ張ったがレイシーは進もうとしなかった。 「リーレン!?なぜ」 「大佐の望みです。早く!」 「だめだ!俺が食い止めてる。ここは俺が戦う場所だったはずだ!それが、なぜ……エース!」 エリエステスは振り返らず、慌てふためくラスティカ軍をなぎ倒す。褐色だった制服がライラックへ、今は赤に変貌してもエリエステスは剣を振るい続け、つぶやいた。最後に一つ、笑顔を咲かせる。レイシーはもう一度エリエステスを呼んだ。だが、悲痛な声は鋼の音で消された。 「私は、これでようやく最後に辿り着いた。悔いるものはない。あとは、あいつの無事を祈るだけだ」 背後でレイシーたちが去っていくのを肌で感じ、軽く頷いた。後悔はないのだ、後は残りを片付けるのみ。 「エリエステス大佐……なぜ」 ラスティカ軍の一人が震えた。エリエステスからの回答はなく、代わりに拳が飛んだ。剣はもう使い物にならない。けれどレイシーたちはまだいる。それまでは戦い続ける。 「剣が壊れてしまったんだ。ちょうどいい」 何が何かわからないまま殴られた軍人はそのまま仰け反り、倒れた。エリエステスは剣を拾うと、少し査定した。使っていたものより刃は細く短いが、扱えないわけではない。 突き上げるような地揺れが起きる。軍人たちは情けない悲鳴を上げたが、それ以上に恐るべき光景が広がる。剣が宙を舞い、ラスティカの制服を切った。辛うじて肉は斬らなかったが、軍人たちの精神には肉を斬られたような感触が広がった。今まで信じてきた女大佐の反乱に誰もが理解できなかった。 「大佐、なぜ」 答えは突き上がる振動となって城をえぐる。何度も、何度も、何度も、殴りつけるかのように、何度も。混乱し、惑う軍人たちはさらなる異変に剣を掲げることすらやめていた。エリエステスによって削がれた士気は揺れを気に急降下し、体も頭も心も砕けた。 なぜ、と連続する言葉はやがてどうすることもできない爆音にかき消される。エリエステスは剣をおろすと天井を仰いだ。鼻につん、と刺激臭が付く。 「地面の揺れではない……?」 ぽつりと零した己の言葉にエリエステスは訝る。その間にも何かが爆ぜる音が続き、空が赤く染まり始めていた。まるでシャワルの城を蹂躙する血のように。 エリエステスは窓から顔を出した。同時に下の階の窓が吹き飛び、紅蓮の炎が渦を巻いていた。時折吐き出されるオレンジの光に顔を覆うと急いで窓から離れた。 「城が爆破されているのか?!」 「大佐の……仕業ですか……」 誰かのつぶやきに、エリエステスは舌を打った。すっかり不振を抱く軍人たちは、すでにエリエステスを敵とみなしている。ならばせめてと振り返る先にレイシーの姿はまだある。地鳴りを引き裂くように何度も、何度もエリエステスの名を呼んでいた。 ぴし、と小さく爆ぜる音にエリエステスは拳を握った。まさかの思いは当たるだろう。 「レイシー!何をぐずぐずしてるんだ!早く逃げろ!」 どおん、と大きな地鳴りがエリエステスの体を浮かした。軍人たちは情けない悲鳴と共に体を伏せたが、それでも突き出す振動に飛び上がる。殴られるような衝撃のあと、予見が当たる。天井が崩れ始める。表面の色彩が剥げ落ち、コンクリートの塊がいくつか降り始めた。 エリエステスはとっさに剣を投げつけた――レイシーの頭上に。コンクリートの塊は砕け、剣も砕けた。白い灰が辺りを消し、レイシーとリーレンの姿はついに消えた。 「エ、エース!んだよ、これ!」 「私もわからない。ただ……城が爆破されている」 「は、はあ?!じゃあ、ラミィやウナは」 「もう救出されているだろう。ウナ様もそう言っていた。こういう時、預言は助かるな」 「よ、余裕ぶってんじゃねーよ!俺たちは」 パディの悪態はエリエステスの腕の中に消える。エリエステスはパディを包むと、降り注ぐコンクリートの塊を腕で防いだ。それで防げるとはもちろん思っていないだろうが、他どうすることもできないのだ。それは軍人たちも同じで、剣はすでに無用の長物と化していた。 「私の目的は果たされた。後はパディ、未来であるお前を守る。しっかり掴まってろ……っ」 パディは何か叫んだがエリエステスは彼を離さなかった。彼は未来の人間。殺すわけにはいかない。エリエステスの全てを知る人間を死なせはしない――。 ガラスが一挙に砕けた。下の階から圧迫を受けているのだ。このままでは、 「崩れる……!」 誰かのつぶやきがまるで合図のように。全ての毒を溜め込んだシャワル城は崩れ落ちた。奇しくも、シャワルを象徴する褐色と鮮やかな炎によって。 満場一致の拍手が広がるように崩れる城を眺め、口笛を吹いた男が一人。ラスティカ軍の旗がはためく元で無邪気に笑っていた。傍にはシャワル、マルファ双方の軍人が屍と化している。それでも男は両手を広げて飛び跳ねた。 「やった、やった。シャワル城撃破」 「ご苦労様でした、ユーリィ・ウルフさん」 今は解けている髪を揺らし、泥だらけのマレルーナが無邪気な男、ユーリィの隣に立った。ユーリィは飛び跳ねるのを止めると、透明にも見える無垢な目をたわませ、軽く首を横に振った。 「だって、俺は運ぶのが本業だから。俺は殺意や恐怖を運ぶ。シャワルにいた女王をここまで運ぶ。そして、爆弾を運ぶことなんて朝飯前。人間を扱うよりよっぽど楽。あ、ほら。また。どかーん」 音にあわせてユーリィは歯を見せて口真似する。マレルーナはやんわりと笑ってみせたが、疲労が強いためそれ以上の顔作りはできなかった。言葉を言うことすら億劫に思っていると、背後から常に機嫌悪そうな顔をしているライスが、それでも疲労の色濃くやってきた。髭は深く、服もあちこち切り裂かれ、血が滲んでは乾いていた。 「遅かったじゃないか。邪魔なものは一挙に破壊すると言いつつ、結局は他軍を撃破してからになってしまった」 「いいじゃないですか。これで全部無くなったんですから」 「そうだな。すっきり掃除ができた」 ライスは久々に皮肉げに片頬を吊り上げると、顎をさすった。するとユーリィが目を見開き、嬉々と「あ」と前方を指差した。 「エルーダ!」 「どうして、こんな事に」 息を切らし、残り二人――いつものシェルリとヘルベルドが続く。何とか生き延びてラスティカ軍に合流できたとはいえ、三人共顔は青く、ユーリィの姿を見た瞬間さらに青ざめてしまった。眼前に広がるもうもうとした煙とオレンジの破裂とユーリィはあまりにも似ていた。 「ちょっと、これ、あんたの仕業……?」 「そうだよ。俺は運び屋だからさ、ちゃんと仕事したんだ。城に爆弾を置くって作業」 シェルリは顔を覆ったまま何も言わなくなった。代わりにエルーダが吼えたが、相手はライスに向かってだった。 「ライス大佐!どうして……中にはまだエリエステス大佐の姿が」 「だからだ。あいつは元凶だ。女王を慕うあいつの心が全てを突き動かした」 言い終えると同時にエルーダはライスの胸倉を掴んだ。ライスは冷静にエルーダを見下ろし……やがて手は離れた。エルーダはその場にうなだれると拳に力を込め、ひたすら願った。 「無事でいてくれよ、エース、レイシー!」 辺りは灰色の砂塵に包まれる。何もかも覆い尽くすと色をかき消した。色鮮やかに始まった戦はゼロとなった。何もない、無色の世界。赤い旗だけが音もなく羽ばたいている。 第五章 完 第六章に続く |