世界に色が戻りつつある。灰色にくずった大地は次第に緑を思い出す。空が青いように。風が煌く。花が誘う。緩やかに。穏やかに、時は進む。



           ホープフォーインディゴ 10



 バラの芳香が出迎える。ふいに届いたのは白濁とした瞳――次期女王、ウナ。そしてその先に、黄金が待ち受けていた。

 レイシーはひゅっと息を呑む。涙はまだ溢れていたが、拭うことは忘れていた。目の前の人物にめまいを覚え、それどころではなかったのだ。

 豪奢な椅子に頬杖を付きながら座り、長い黄金の髪を床までたらしている。七色のシフォンドレスが風もなく揺れると、形のよいくちびるがレイシーの名をゆっくり紡いだ。若葉にも似た甘い色の瞳は、色と違い随分と挑発的に輝く。表情は気だるそうだが、不敵なものを含んでいた。

「ようこそ、そしてはじめまして、レイシー・コーズウェル」

 女は頬杖をやめると、毅然と立ち上がる。凛とした姿はどこか神々しく、言葉は冷たい威厳を含んでいた。

「私はゼファーナ。隠匿されし、色彩の、本物の女王」
「色彩の……女王……?」
「女王についての秘密はすでに開示されている。あなたたちが無理やりこじ開けた中にあったでしょう?今までの女王は全て偽者。しかし女王は若くして150年生き続け、色彩を紡ぐ。女王たちは、城の人々はその異質さのあまり本物の女王を隠し、偽者を立てる。そういう歴史を辿って来た」
「なぜ……今更!」

 吼えるレイシーに女王は失笑し、表情を消した。瞳だけがやけに強く瞬き、踏み出した足は恐れ多い気迫を孕んでいる。ウナとパディは動ずる事なく女王を見たが、レイシーは一歩踏み出した。その手には剣が、生臭い臭いと共に放たれていた。瞬く間もなく剣が女王を深く突き刺す。反動で血が噴出し、小さな体がびくん、と痙攣した。黄金の髪は赤く濡れ、オレンジの光に瞬いた。

 しかし、案の定女王は倒れず、虚構の笑みを浮かべた。それだけで十分でしょう、と言わんばかりに。

「無礼者。早くそれを抜け。軍人共の血が混じる。不愉快だわ」

 言葉に従い、レイシーは剣を引き抜く。その剣は乾いた音を立て、床に落ちた。二度と拾われることはないであろう。

「私は今まで、エースに殺されていた。私は望んだわ、人としての死を。それが願わぬと知りながら。でも私は死ねた。エースに殺され、蘇った。私ですらこの意味はわからない。必要なことなのか?それはわからない」

 たったそれだけの言葉から真実を繋げるのは難しい。レイシーはパズルを組み立てる事をしなかった。ここに女王がいようといまいと、どんな理由で今まで黙っていたかも、そんな事は瑣末な事だ。レイシーの持つ想いは一つ。

「エースは死んだのか」
「ええ、死んだわ」
「お前の望みを叶え、お前に全てを注いで死んだ!」
「そうね。あの子は私のエースだもの。でも、あなたも同じよ?私は結局振られてしまった。あの子はあなたを選んでいた。私が本当に死んでいたら、あの子はあなたを選んだのかもしれない」
「どうして……死んだんだ……!」
「……私を守るために、あなたを守るために。あの子は全てを被って、死んだのよ。愚かな男。あなたがラスティカに剣を向けなければあの子の罪は女王殺しだけだったのに。あの子はあなたの裏切りも飲み込んだのよ」

 レイシーは歯を向き、女王の首を絞める。死なないとわかっていても、苦しみを与えずにはこの場にいれなかった。

「私を秘匿するために、私の存在を人にするべく、あの子は女王と言うすべてを殺して回った。きっと最後には自分も含まれていたんでしょうね。そして、あなたを国の犠牲にしないため。あなたも戦争に加担し、ラスティカや女王を滅ぼそうと考えたことも消そうとした。己の命を捧げたのよ。私たちに。皮肉なものね。私は色彩の女王。あなたは男だけれど氷の女王。あの子は女王という者に縛られる運命だったのかしら……?」
「死ぬ必要は……なかった……!」
「では、あなたと私、共に心中でもすればよかったわね。そうしればあの子は少なくとも、死ななかったはず」

 女王は表情を消したまま、瞳で強く訴える。レイシーの腕はだらりと下に落ち、跪くように四つん這いに打ちひしがれる。どうやってもエリエステスは帰ってこない。わかっているが、体は抵抗し続けた。

「パディ。棺を用意してちょうだい」

 女王は給仕を呼ぶように手を叩く。パディは舌打ち交じりだったが、すぐさま踵を返し部屋から出て行った。

「氷の女王。最後にプレゼントをあげるわ」

 隣の部屋からごうごうと音がする。不吉な音は重く耳に流れ込む。ウナは横目で扉を見て、レイシーははっと振り返る。やがて棺を押すパディが入り、女王は満足げに頷いた。

「ご苦労」

 その棺が誰の者であるか、知らぬレイシーもすぐにわかった。這うように駆けると抱きしめるように両手を伸ばしてしがみつく。魂がまだどこかに消えてないと、消えてしまわないようにと、蘇るようにと祈るように。しかし時間も運命も残酷なまでにそ知らぬ顔で通り過ぎる。棺の中の人物は、死んでいた。青ざめた顔に敷き詰められた色彩の花。その顔に血痕はなく、生前の姿とまるで変わりない様子で眠り続けていた。

 レイシーは震えながら彼女の頬に触れる。氷のような肌。柔らかな質感はどこにもない。朽ちていくだけの皮があるだけだ。

「エース……」
「この子は二人の女王によって轢死した」

 レイシーはひたすらエリエステスの名を呼び続けた。そうすることで彼女が蘇らないかと。それはパディも密かに行った行為であり、かつてエリエステスを慕っていた者全員が抱いた想いでもある。決して一人ではなかった女大佐は、孤独に死んでいった。事実だけが浮かび上がるだけで、蘇ることは決してない。

 しかし、一つだけ覆るものがある。死んだ者を生き返らせるための呪が。女王と、女王と呼ばれる者だけが発動できるそれを、色彩の女王はひらりと手のひらに乗せた。

「レイシー・コーズウェル。あなたに選択肢を与えましょう」

 女王はしゃがむと、レイシーの顔を無理やり上げた。鼻と鼻が触れそうな距離に、お互いの息がかかる。そして女王は宣告した。とっておきの言葉を言い放つ。

「エースは反逆の罪で、戦の引き金として首がさらされる。そうすることで戦という文章のピリオドを打つことができる。本当に大変なのはこれからだけど、原因と元凶は取り除く事ができる。でもね、私はエースに名誉ある死を与えたい。せめて、安らかに眠らせてあげたい」

 女王はくちびるを吊り上げる。レイシーを嘲るように、続ける。

「意味が……わかるわね?」

 ふう、と甘い吐息がレイシーの鼻先を掠めた。レイシーは笑う。凶悪なまでに頬を引きつらせ、油の注がれた炎のように目をたぎらせた。そこにかつてのレイシーはない。大量殺戮の果てに崖へと逃げ込んだ獣の形相そのもの。後は――飛び込むしか道はないのだ。

 ――負けてばかりの人生だった。勝つためにはこの選択肢しかない。明白だった。

「はは……ははははは!」

 レイシーははじかれたように笑い、口を裂いた。目は次第に赤く染め上がり、レイシーであるという原型はない。酷く歪められた凶悪な形相に女王は満足げに微笑んだ。優美に、恭しく。

「それでエースが俺のものになるのであれば!喜んで、そうしよう」

 最早、誰もが彼を狂っていると評するであろう。そう、間違いなくレイシーは狂っていた。ついに、健全だと信じる狂人へと進むことができたのだ。

 ――レイシーはエースと共に世界を保ちたかった。だが……それ以上に、女王という存在を消したかった。女王以外にも世界はあると、教えたかったはずだ。それが、どうして。いつの間にか……レイシーの想いは、女王そのものを消すことになっていた。ラスティカではなくマルファを乗っ取る形でのし上がり、ラスティカと条約を結んだ。いつしか、ラスティカを食いつぶしてエリエステスを手に入れるため。

 ――どこで間違ったのか?おそらくは……女王以外の存在にも気付いていた彼女に気付いていればよかったのかもしれない。せめて、傍にい続ければよかったのかもしれない。ラスティカに共にいればよかったのかもしれない。

 最後に見た彼女の笑顔。出会った時、レイシーを始めて負かした時のあの笑みだった。過去が、崩れる。

「俺の、勝ちだ」




 その日、世界に終戦宣言が出された。犯罪者の首と共に。

 シャワルの姫、ディアンダ・トール・シャワル。そして――マルファのマルシャル、レイシー・コーズウェル。

 二人の死によって、他愛もないままごと戦争は終わった。罪は全て二人のものとなり、それらを阻止して散った、エリエステスは女王の望みどおり名誉ある死を受け取ることとなる。

 しかし――死は平等である。結局、誰もが死んで、ここにはいない。色彩の世界に、いない。



第六章 完
第七章に続く

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