シャワルの城が崩れ落ち、女王の放つ色彩が蘇る。知る者も知らぬ者も終わりを思っていた。ゆるりと広がる穏やかさと共に。色彩の女王が見せる平和の色に。

 だが、終わりはまだ訪れていない。赤き軍人がすべての罪を被り終結を望んだが、忘れてはならない――ラスティカにもシャワルにも刃を向けたマルファが残っている。戦いの色は消えない。燻り、今すぐ炎を吐き出す寸前であった。十分にためて吐き出し、ラスティカに一気に食らいつこうとしていた。

 しかし、耐え切れずに飛び出した者がいる。ただ愛する者の目を覚ましたいが故に盲目の道を駆け抜け、その先が間違いだったと気づきながらも引き返す事も進むこともできなくなった、光を失った男が一人。知る者からすれば、彼こそが火種そのものであった事を理解しているであろう。

 男は走る。炎のように。氷の女王と呼ばれたレイシーは、マルシャルという事をすべて忘れ、単身でラスティカを駆け抜けた。その手には剣が一つ。たった一つの想いを握り締めて、今こそ何もかも否定するためにひたすらに走った。



           ホープフォーインディゴ 9



 長い一日だ。エリエステスの影ははっきりと残されている。軍人たちの疲労は計り知れない。その中、再び台風が到来する。その報告を受け、うんざりとライスは頭をもたげた。好きにすればいい、と言えたらどんなに楽なことだろうか。

 渦の中央はマルファのマルシャル、レイシー・コーズウェル。彼は単身で乗り込み、軍人たちを蹴散らしていた。なぜこのように無謀な事をしているかは誰にもわからない。目的は見えなかった。

 シャワルと共謀しつつも裏切り、すべてを切り捨ててラスティカと対峙し、女王を否定した男。最早、倒すべきたった一人の敵となっているのだが、ここまで繰り返し戦ってきたマルシャルがどうして今になって一人で戦いを挑みに来たのかは知るところではない。レイシーは剣を振るい続ける。涙を流す代わりに。

 彼を止めるべくライスたち一同が剣を持ったと途端、止める存在があった。金髪を揺らし、華奢な体がふわりと軍人の前に立ちふさがる。

「パディ・デュランダ。邪魔はしないでいただきたい」
「邪魔なんてしねーよ。だけど少し待てよ」
「お前に権限はない。それとも、女王の言葉でもあるのか?エリエステスのように、女王の権力を使って振舞うのか」
「そうだ」

 パディは迷いなく言い放ち、軍人たちのそばをすり抜けた。ライスの歯噛みする音が小さく聞こえたがパディはそれを聞かなかったことにした。ライスはパディを止めることなく、軍人に追わせることもしなかった。色彩が認められた今、女王は再び絶対の存在になっている。そんな女王の言葉があるとなると、たとえライスでも嫌味を続けれなくなってしまう。

 パディも一人、レイシーの所へ進む。決して走らない。ゆったりと歩くスピードで向かうと、レイシーが猛然とパディの目の前に躍り出た。




 ――レイシーはエリエステスがいないことを、心のどこかで無意識のうちに、理解できないまま感じとっていた。

 最後に見せた彼女の表情は学生の頃咲かせた笑顔とまるで変わらなかった。負けたことも勝ったことも全てひっくり返るほど、清々しい笑み。愛しいあの笑顔が、怖かった。

 それ以上に、彼女はレイシーを逃したのだ。ラスティカ軍を裏切った。それがどれほどのことか、トップであるレイシーがわからないはずがなかった。

 誰が誰だか区別が付かない中、金色の髪が遠くでレイシーを睨みつけていた。

「そこで止まれ、マルシャル=レイシー」
「色彩の、鍵……」

 恐怖一つ浮かべない、一見すると少女に見える少年が不機嫌そうにつぶやく。レイシーは決して冷静ではなかったが、狂戦士ではなかった。その言葉に耳を動かし、足を止める。肩で息を繰り返すと、脂汗に似た粘っこい額をぬぐう。パディは一呼吸分時間を空けると、言葉を紡いだ。

「そうだ。俺は色彩の鍵。大抵の事は知ってる。そして、今までを見てきた。俺は決して介入しなかったが、歴史を見てきた」
「パディ、デュランダと言ったか。君は何を企んでいる」
「てめーじゃねぇんだ。んなものあるか。俺はきっと、これからもただ見続ける。今回もそうだろうな」
「わかるように言え」
「女王が呼んでる。軍人は来ない。信じられないならそれでいい。そもそも、てめーは一人で来たんだ。俺に文句を言う意味はねえだろ」

 熱を孕みながらも冷たく、色彩の鍵は言う。長い金髪の余韻を残しながら振り返ると、小さな体を先に進めた。レイシーは迷いながらも剣をしまい、パディの後ろに続く。言われた通り、軍人の姿はまるでない。パディから先はまるで結界が張られたように誰も近寄らなかった。

「……エースは死んだ」

 ぽつりと言うにはあまりにも痛烈な言葉にレイシーは一度呻く。レイシーの瞳は、氷の女王と呼ばれる冷たさは一切なく、熱い泥と膿が入り混じっていた。どろり、と瞳孔を動かすとパディの背を凝視した。そうすることで彼の心が読めるとは思っていなかったが、そうせざる得なかった。

「嘘を言うな」
「嘘にしたいんだろ?でも、事実だ。俺はめんどくせーことはしない。こんな時に嘘なんかつくか」

 レイシーの体にさっと冷たいものが駆け巡る。神経は鈍いのか、中々それに反応できない。数分遅れて感覚が蘇るが、それでも事実を受け入れるほどの鋭さはなかった。ただ、その言葉を甘受するしか今はできない。

「エースは俺に色々話したよ。あんたの事ばっかりな。俺はエースの事を、未だよくわかってない。だから何があったかわからない。でも、あんたならわかるよな」

 レイシーに言うというより、独り言のようにパディは点々と言葉を落としていく。金色に揺れる後ろ髪を睨みつけながらレイシーは黙ってその言葉を拾い上げる。心は未だ、受け入れることなく。

「エースは女王がいたから生きれた。女王がエースの世界を、エースがいていい世界を作ったから」

 レイシーの胸に、かつてエリエステスが言っていた言葉がよぎった。女王に切り落とされたことによって生まれたエリエステス。それ以来、彼女は女王に永遠を誓っていた。それは――結局最後まで叶ってしまい、本当の永遠となってしまったわけだが。

「俺にその意味はわからない。エースは女王を慕っていたから、最後まで女王の味方でいた、それはなんとなく理解できてる。だけど、エースはもう一人、色彩をくれたと言っていた。それがあんたと、エルーダとか言うやつのことだ」

 パディの足が止まる。ゆっくり振り返り、翡翠の瞳は責めるようにふと、輝く。もしかすると泣いているのかもしれない。

「てめーが、エースを導いた。エースはずっとてめーの名前を呼んでた。ずっと語ってた。女王を慕うように、てめーの事を言っていた」

 轢死した。残酷なまでに儚い声が告げた言葉を思い出す。エリエステスの死を轢死と言った。それは、何と何にはさまれての死か。レイシーの胸にじゅくじゅくと、塩酸で溶かされるような侵食が訪れる。まさかの想いが心拍を膨らまし、目の前が歪んだ。

 パディが歩みを止めたのは、ここがゴールだからであった、と気付くのに数分要した。パディが「ここだ」と言ってから十分の間を取ったあと、レイシーはいつの間にか俯いていた顔を上げた。

「君は……何もかも知っている。だというのに、関与していない」
「俺は鍵。それだけだ」
「……エースは、どうして」
「それは俺じゃないやつが言う。俺は役目じゃねーよ。ただ……あんたに伝言を頼まれた」

 パディはレイシーを見ない。背を向けたまま、悔しそうに震えると、かすれた声でつぶやいた。

「生きて、と」

 レイシーから吐息が漏れる。途端に糸は切れ、レイシーは膝をつき顔を覆った。ダムのように涙腺は決壊し、涙が次々とあふれ出た。それは今まで冷たく凍っていた仮面を溶かすように熱く、激しいものだった。

「てめーは一体何をやってきたんだよ!どうして、エースを止めなかった……!エースがこんな風になるまでどうして放っておいたんだよ!誰もエースの過去も未来も知らねえんだよ!だったら、せめて過去も現在も知ってる奴が助けるべきだろ!?……クソ」

 パディは憎憎しげに舌打ちすると、すっと冷たくレイシーを見下ろした。その拳は震えていたが、振り下ろされることはなかった。ただただ、痛みに似たものを耐え、発散できないでいた。レイシーはいっそ殴ってほしいと思ったが、言うことすらできず、ひたすら嗚咽を零し続けた。

「てめーらがいつどうして出会ったかは知らない。でも……助けるチャンスはいくらでもあったはずだ。……早く行けよ。俺は傍観する」

 パディの声はまだ苛立ちを含んでいたが、震えは収まっていた。レイシーは立ち直ることなどできるはずがなかったが、それでも誘われるように立ち上がった。素っ気ない扉がレイシーを手招き、ぼんやりと開けた。


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