| 絶対の平和を約束された色鮮やかな世界、レイストロ。色彩の女王が全ての色を紡ぐ。 しかし紡ぐのは色だけ。 穏やかな空気の中、平和を紡ぎだすのは人。 もし、女王によって統括されていると言うのであれば。 反発する心は生じない。何もかもが産まれない。 たったそれだけの答えだった。 ボーンバイオレッド 6 廊下を過ぎ去るラミィを見送った後、二つほど呼吸を置いて振り返った。すでに薄暗くなった中に、ぼんやりと白い影が浮かぶ。髪も肌も目も白く、気配すら希薄な存在をパディは真っ直ぐ、皮肉そうに見つめる。その瞳孔を突き刺そうと、銀色のナイフの先端が見つめ返していた。 「来ると思ってた」 そう、パディが言うとウナは直立不動のまま「そう」とくちびるも動かさずつぶやいた。自動人形のように淡々と、ナイフだけが鈍く瞬く。 「結局、150年の呪いとやらは解けなかったな。この先、延々女王は続くだろうよ。てめーもな」 「相変わらず、人事ね。でも、茶番は終わった。今の私にも女王にも未来は見えない。ここが本当の未来」 「いかさまなしのルーレットってやつか」 「そうね」 二人は感情なく言葉を交わす。緊張はない。しかしここが本番に違いなかった。誰の目もない、世界の目すら見えていない未来。 求めていた本当の「答え」が披露される。鍵は今こそ役割を与えられた。 いくつも降り注ぐ疑問と問題の数々。女王の夢、世界の蛇、人々の想い、ちっぽけな戦い、軋轢に苦しむ軍人。どれもが断片的で曖昧だ。しかしパディはその場に全て立った。全ての声を聞いた。この後、同じように全てを知った軍人たちがパディを呼ぶだろう。世界を開示するために。女王を殺すために。 そしてパディはウナを殺すために、この瞬間に立つ。 ウナはいつもの白い姿でおぼろげにパディを見ている。女王の力、すなわち心の声は今は届かないらしい。ウナはいつもよりもさらに生気がなかった。 「今の私は次期女王でも女王候補でもない。未来もない。声も聞こえない。死ぬことができる。女王が生きているから。女王が生きている今だったら、私は死ねる。私は150年生きずに死ぬことができる」 「ゼファーナが死ねば、お前も女王ってわけか」 「そう。150年を生きるか」 「死ぬか」 二人の会話は巫女たちに酷似していた。まるで世界を紡ぐ色彩の女王のように、未来を見る巫女たちのように、二人は切り離された世界で未来を謳う。 「私が死ぬ前に聞かせて。返答次第ではあんたを殺すけど」 「究極だな」 軽く笑うと、ウナも片頬を吊り上げた。初めて見る、今を楽しむ表情。ウナはようやく今を生きているに違いない。だからパディもそれに答える。知識で膨れ上がった心をさらけ出す。ウナもまた、女王の力を借りずにパディを詠む。 「あんたは言った。前の女王の死に何かがある……と。その通り、女王は死んでなかった。死に憧れて仮死状態だった。そこにヒントがあると、あんたは思ったの?150年生きなくてもいい道があるかもしれない、とも言ったわね。その道は閉ざされた。結局は仮死。150年の鎖は繋がったまま」 「道は一つじゃない」 「今のうちに私が死ぬ道?」 白い歯が覗く。ウナは笑っていない。どこまでも挑発的にパディを誘う。まるで、殺してもらうために。パディは軽く首を横に振ると、同じように歯を見せた。威嚇ではない。微笑だ。決して柔らかくない、お互いを嘲笑し合う顔。 「最初から疑問だった。何で死にたいんだ?俺は生きるとか死ぬとか考えたことねーけどな」 「それはあんたが単純だからよ」 「んだと!」 ウナはいつもの、小ばかにした鼻息を漏らす。パディは奥歯でぎりぎりと耐えると、ウナは肩をすくめた。 「それこそ、異質だからね。私の両親は異質を何より拒む人間だった。そのせいか、私もこの力が嫌いよ。コントロールすればなんとかなるみたいだけど」 「それが理由?」 「こんな力を持ちながら、今の世界を生きるのはまっぴらごめん」 何もかも作られたきれいな世界。そう、人々が確信している世界。その根源は女王にあり、それは誰が女王になっても、女王そのものを人々は見る。ゼファーナであろうがウナであろうが変わりはない。女王、どこまでも、女王。 「だからこそ、ゼファーナは全部軍人や俺に言ったじゃねーか。世界と女王を。そして俺も言った。女王を辞めればいい。女王という存在を立てる事を止めるんだ。今はそうでも未来は違うさ、きっと」 「呪い、か」 「世界の女王は辞められないだろ。けど……ラスティカの女王になる必要はない。ずっと言ってたはずだ。女王は人間なんだ。しかも、城にとっては単なる少女。頭としての使い道はない。いる必要もない。そもそも、そうやっていたからこそ、戦は起きたみたいなところはあるだろ?」 パディはそっとナイフの切っ先を指で下ろした。ウナは抵抗しなかった。 「これが、俺なりの解放だ」 ウナは切っ先を見つめ、すっかり床を向いてしまったナイフを捨てた。からん、と乾いた音はない。赤い絨毯に染みこむ。 「ウナ。死ぬと言いながらずっと死ななかったな。俺に聞かずともさっさと死んでよかったんだぜ?」 「そうね。さっさと死んでよかったかも。けど、女王として150年生きるんじゃなく、風のように150年生きるのも悪くない、と思ってたところ」 「よく言う」 ウナは改めてそれが聞きたかったに違いない。次の女王への言葉ではなく、ウナ自身として。ウナが何を望んでいたかパディはわからない。だが、きっと女王たちと同じく解放を願っていた。人でありながらも異質であると、城に閉じ込められる人生ではないものを。異質であることは変わりないが、自由に暮らす日々を願っていたのかもしれない。 「そうなると、私は動くエネルギー供給源ってところね」 そんな冗談を飛ばすと、ウナは背を向けた。表情は最後までわからなかったが、あの白濁とした顔は今は晴れているだろう。世界に青空が戻ったように。ウナは窓へ顔を向けるとそっと空を見上げた。青葉が風に揺られ、さあさあと音を立てている。 「じゃあ、パディ。この城から逃がしてくれる?」 「もちろん。てめーがいない方が俺もここから出られる。さっさと行けよ。道ぐらい冥土の土産に作ってやる」 「色彩の女王は終わりね。私もゼファーナも死ぬ」 「そう、死んだ。色彩の女王は死ぬ」 「それでも生まれ続ける。その時、あんたは何をしてくれる?」 「もう扉は開いてんだ。勝手に選択すればいいだろ」 ウナは目を閉じる。薄いくちびるには僅かだが微苦笑が生まれる。 「ゼファーナが死ねばセロもラスも死ぬ。そして私は生まれ、新しい巫女たちも生まれる。きっと、どこかで」 「巫女たちこそ、色彩の子供ってやつなんだろうな」 「そうかもね。私は一人じゃない。便利に、生き尽くすだけね」 ウナは華奢な体を滑らせ、パディの傍を通り抜ける。パディもまた、ゆっくりと一歩を踏み出した。 「長い時間を要したもんね。たった、これだけの答えを得るために千年以上時を使うだなんて」 皮肉な声は徐々に消えていく。パディはそっと聞き耳を立てながら、ウナには見えないだろうが頷いた。 「あんたと会うのはもうこれで最後ね。随分長い茶番だったけど、いざ体験すると中々スリリングだったわ」 パディは心の中で悪態を付いたが、今のウナには大して聞こえないだろう。それでもわかるのか、ウナが僅かに反応したのを背中で感じた。 「さようなら、パディ。そしてまた会いましょう?」 「先の世界でな」 二人は同時に手を掲げる。もう二度と会うことはないだろう。長い長い人生の中で交わることは、ないだろう。だがいずれ、次の世界が見えた時。きっとまた邂逅するに違いない。 パディは色彩の鍵。ウナは扉を開き、羽ばたく。その色はきっと、鮮やかに違いない。 「ああ、こんなところにいたのか、パディ・デュランダ」 未だ憔悴の色を残しながらも甘いマスクが顔を覗かせる。カルアが来たということは、話し合いがある程度進み、そして暗部へと近づいたのだろう。最初で最後の仕事が始まる。 世界を全て切り開くためにパディはカルアと共に軍人たちの集う部屋へと向かった。 時がさらさらと指先から逃げていく。細やかな粒子一つ一つに世界の想いが、声がある。残り僅かとなった時計を胸に、ゼファーナは暗闇にそっと溶け込んでいた。その目の前には巫女。穏やかに、子守唄を謳っていた。 軍人たちに全てを伝えた。色彩の鍵は扉を開けた。人々に別れを告げたゼファーナはこうしてようやく落ち着いて椅子に腰掛けていた。軍人との別れは済んでいなかったが、彼らはすでに今日が150年目という事を理解した頃だろう。女王が消えてなくなる事について――女王制度をなくすという法案が浮かんだ頃に違いない。ゼファーナにもう未来は見えていない。 「女王たちの悲願は達成された。ウナは150年の鎖の中で、自由に、人として生きる事を選ぶ事ができた……」 感慨深く頷く。これから異質な人生を歩むに違いない。それでも、彼女は選ぶ事ができる。城の中にいるよりも遥か多くの選択肢を見つめることができる。それだけで女王は幸せだ。150年を謳歌できる……それを選ぶのも自由だ。どう転んでも、女王自身の選択。城にいるしか選べなかった人生とはまるで違う。 「一人、また一人と旅立って行くわね。私も終わるわ」 「行こう」 「一緒に」 「僕たち」 「私たち」 「色彩の子供」 「女王のための私たち」 「そうね。行きましょう。次の色彩へ」 ゼファーナは立つことができなくなっていた。椅子に腰掛ける足はうっすらと透けていた。それはセロとラスも同じで、全身は淡く透き通っている。 「ようやく終わりね、この世界も。長くて短かった。あっという間だった気がする」 そうだね、と巫女が続ける。ゼファーナはうっとりとした表情を浮かべると、透明になりつつある眼に色彩を写す。自らが生み出した色を忘れないために。 「いろんな人に出会った。いろんな時を過ごした。私はとても恵まれていたわ。みんな死んでしまって、私の元には誰も残らなかったけど、みんなとの思い出も、あなたたちもいるから寂しくない」 何度も何度も女王は死を見送る。その度に置いていかれる悲しみを味わう。それがもう、終わる。膝から下が消失し、月の光に混じりながら輝いた。それはまるで蛍のよう。点々と闇夜を照らす、ほのかな光。心をそっと照らす。その輝きは、エリエステスの存在を知った時と似ていた。ゼファーナを最後まで裏切らない、悲しき軍人。彼女に出会う未来が見えた時、ゼファーナは涙した。ふっと啓示されたものはあまりに儚く、強く、厳しく、暖かかった。 「こんなきれいな死っていうのもいいかもしれないわね」 笑みを滲ませる女王に巫女たちも「そうだね」と笑った。巫女の体も消えかかっている。同時に消失するか、それとも巫女が早いか女王が早いか、それはわからない。だがお互い悲しみも寂しさもなかった。終わる、という事実だけがくっきり浮かんでいる。 「今までの女王たちが願った姿が、次の世界で生まれるのね。本当の自由がたくさんある。楽しみだわ」 誰に言うわけでもなく、声だけが浮遊した。椅子だけが静かに佇む中、深々と月の光が淡い緑を帯びて部屋を照らしていた。 第七章 完 終章に続く |