張り詰めた透明な空気が人々を固めていく。身動き一つできない空間は息苦しく、慣れていない者は冷や汗を流し、目をふせる。


 空気を突き破るようにラスティカの軍服を纏った男が1人、立ち上がった。


「では、会議を始める。・・・・・・最初にブラックアウトについてだ。・・・・ラスティカ第一軍所属・エリエステス大佐」


 は、と続いてエリエステスが毅然と立ち上がる。圧倒的な獣じみたオーラに誰もが一瞬怯む。だがそれに合わぬ、冷静な声でエリエステスは淡々と台詞を続けた。


「女王の死と共に世界の秩序が崩れ、無気力な人間となり世界を荒廃へと導く・・・・。そうして始めたブラックアウトも1年が経過しました。しかし「黒き腫瘍」は少なくなるどころか増大の一方・・・・女王の力はやはりここ数ヶ月でかなり弱まってるようです」
「ブラックアウトを手抜きしているのでは?」


 ラスティカとは違う服を纏った男・・・・ラスティカの対談相手である隣国マルファの男は嘲るようにいやらしく湾曲した目をエリエステスに向けたが、彼女は眉毛一つ動かさずに報告を続けた。


「手抜きはありません。・・・・・というより、人が足りない。どこぞの国も参戦してくれればありがたいのですが・・・・如何せん、戦う術をしらずぬくぬくと育ってるが故、戦えないのでしょう・・・・・」
「何だと!」
「これは出すぎた発言を。お許しください、マルファ軍アレイ大佐殿」


 ぎり・・・と歯軋りの音が虚しく響き、エリエステスは心のうちでそっと鼻で笑った。


 どいつもこいつも何も知らない、戦う術すら知らない。まるで赤子のような存在ばかりだ。ラスティカもマルファも、どいつもこいつも間抜けなつるんとした綺麗な顔をしている。皮肉に顔をゆがめるは自分だけだろう、と思うとエリエステスは失笑が止まらなかった。


「パディ・デュランダなる、時期女王を覚醒させる鍵が見つかったとのことを聞いたのだが」


 マルファ側でまた違う男が1人挙手し、エリエステスは目で頷いた。


「はい、その通りです。パディ・デュランダは今時期女王候補と共にいます。今のところ覚醒の兆しは全く見えませんが・・・・預言でそう言っているのです、大丈夫でしょう」
「はっ、どうだろうな。女王の死という大きなものをはずしたものだからな。信用できん」


 再びマルファのアレイが話を中断していく。大きな鼻息は静けさを一掃し、集中をとぎらせていく。


 エリエステスはさらに皮肉で顔を歪め、アレイに手をかけようとしたときだった。


「そこまでにしましょう、アレイ大佐。私たちはお互いの荒を見つけにきたのではありません。隣国で仲のよいラスティカと和平の話をしに来たのでしょう?今からその調子では困ります・・・・ねえ、エリエステス大佐」
「・・・・・・ああ、そうだな。・・・・・マルシャル=レイシー殿」


 冷たい顔が笑う。


 氷の女王のようだ、それがエリエステスのレイシーへの今も昔も変わらぬ印象だった。




 

                ダークオレンジ 1




「エリエステス大佐!」


 荒い息遣いと共にやや甲高い声が廊下にこだまする。大理石は彼の声をより黄色く変色させ、エリエステスの耳に届くころにはこれが男の声か、と疑いたくなるほど高音になっていた。


 うんざりするほど何度も聞いている男の声にエリエステスは半ばやる気ない気だるい様子で振り返った。


「なんだ・・・カルア少尉」
「・・・・・・は。すいません・・・・・」


 よほど走ってきたのか、カルアはエリエステスに近寄った途端膝に手をついて全身で呼吸を数回繰り返した。ポケットからきっちりたたまれたハンカチを取り出し、拭うと全身を緊張させて敬礼のポーズをとった。


「大丈夫ですか?」
「は?何がだ」
「その・・・・会議の件です。あのように挑発されて・・・・」
「ああ、構わん構わん」


 緊張して青ざめるカルアとは対照的にエリエステスは軽くあしらうように手をぱたぱたと仰ぐだけだった。


「あの頑固偏屈親父とはいつもあんな感じだ・・・そうか、お前は会議に出たことがなかったから知らないのか。アレイ大佐はマルファの螺子、さ」
「螺子・・・・・ですか」
「そうだ。きちきちに詰まっていて動こうともしない、頑丈な螺子さ。マルファを繋ぎとめる役目もあるが・・・繋ぎすぎて抜くのが一苦労。・・・・そうだろう?マルシャル=レイシー殿」


 エリエステスは紫紺の目を真っ直ぐ向けた。ゆるぎない瞳にカルアは身を強張らせ、そっと後ろを振り返った。


 

 マルシャル―上級大将=レイシー。隣国マルファの要だ。


 

「ああ、本当そうだよエリエステス大佐。アレイ大佐には困ったものさ」


 冷気が2人の背中を撫でる。カルアはあまりに突然のことで鳥肌が痛いぐらいに立ち、全身を強張らせる。しかしエリエステスはにこやかに「やあ」というだけで全く何も感じていないようだった。


 だが内心では「相変わらず氷の女王のようなやつだ」と寒さに身を縮めていた。


 エリエステスより年上だろうか、非常に端麗な顔をしていた。ほっそりとした針金のような足に服の上からでもわかる引き締まった体、隆起してはいないものの捕らえた獲物は逃さないといわんばかりの肩や腕。全身が「針」でできているようだった。


 レイシーは切れ長の目をす、と細めて薄く小さなくちびるを少し微笑ませた。


「頭をつぶしてでも抜くしか・・と考えることもあるよ」
「おお怖いな、マルファの。・・・・・・カルア少尉、先に行っててくれ」
「しかし・・・・・」
「こちらの上級大将様とは旧友でな、久々に会ったのだからゆっくり話がしたい。だからカルア少尉はパディたちの世話を頼む」


「・・・・は」


 カルアは未練がましい目でレイシーをちらりとだけ見ると、大またの早歩きでどんどん奥へと進んでいった。


「かわいい部下を持っているね」
「かわいすぎるのが難点、だがな」
「その点、君はかわいくなさすぎる」
「それは非常によいことだな。かわいい軍人などといわれるほど私は弱くはないよ」


 そう取るか、とレイシーは続け、2人はどこかで合図したように同時に廊下の隅へと進んだ。


「まさかそんなことを言いに来たわけではないだろう?マルシャル=レイシー殿」
「まさか。もっと真面目な話をしに来たんだよ。・・・・折角久しぶりに会ったんだ、いつも通り呼んでくれればいいのに。エース」
「まあそれもそうだな・・・・では、レイシー。・・・・真面目な話とやらを聞こう。まあ大体想像はついてるがな・・・・どうせ今回の和平についてだろう?」


 そのとおり、とレイシーは嬉しそうに顔をほころばせた。赤みが少しかかった頬を見てもレイシーの印象は冷たい、から抜けない。どの表情を見せても彼はひんやりとしていて人から一歩はなれているようだった。


「今回、このままお互い干渉せず仲良くしようというところでまとまったけれど・・・・実際はどろどろしてる。誰もが女王の座を、世界の中心というのを狙っている」
「へえ?例えばシャワル国とかか?あの姫ならやりかねないと思っているが」
「はは。かもしれないね。じゃじゃ馬姫は退屈していそうだ、一暴れあってもおかしくなさそうだね」
「・・・・まあ、そういうのは冗談にしてほしいがな」

 エリエステスは肩をすくめ、歪んだ笑みを浮かべたが、体内では不安に満ちていた。各国々で今までひっそりと息を潜めていた争いの炎がもう時期に噴出すだろう、と頭は確信していた。
 対するレイシーは安穏とした笑みを浮かべながらも本当に冗談交じりに笑っていた。
 エリエステスは密かにこの男の余裕を分けて欲しい、と思ってしまった。彼は笑みを少し弱めると、凍った空気をさらに冷やして続けた。


「本当に。・・・・・だが・・・女王が死んだことによってラスティカは世界の中心という地位が揺らいでいる・・・そこを突こうと他の国は虎視眈々と狙っているのは事実だ。・・・・争いが始まるかもしれない。それはうちのマルファも変わらない。表では和平だのなんだの言っているが、実際は・・・・・・・」
「世界と色彩の女王を狙っている、か。確かに、突付くなら今かもしれないな。女王の力は確実に弱まっている・・・・・黒い腫瘍も増えてきている。世界一を誇る我がラスティカの武力は確実に分断される・・・・・・・。・・・・・しかし昔からラスティカは世界の中心でいた。もうそれを揺るがそうなんてことはできないはずだが?」


 くす、とレイシーの歯の隙間から笑い声がかすかに漏れた。それにあわせるようにストレートの灰色の髪が艶やかに揺れた。


「いくら昔から中心はここ、女王が君臨する場所がここでも・・・・落ちれば他の国に渡るよ。・・・・預言もはずれたそうじゃないか。今までずれることがなかった預言もずれるのだ、国がずれてもおかしくはないはずじゃないか?」
「・・・・・それもそうか」


 押し殺すような笑い声を腹から出し、エリエステスは腕を組んだ。


「だがどうやろうとも、世界の中心、そして女王が君臨する場所はここ、ラスティカだ」
「・・・・・大した自信だ。その自信、どこから来る?」
「私は女王に捧げた者。女王を揺るがそうとする存在は許さない。何が何でも、私が守ろう。全身全霊を込めて、な。だから渡さない、女王の居場所を」


 濃い藍色の瞳が深く瞬いた。底で揺らめく水面は何を映しているのか。何に捧げ、何を慕うのか。レイシーにはわからなかった。彼女がここに留まり尽くす理由も今のこの状態では何もわからない。


「・・・・・レイシー」


 再び藍色の瞳が揺れる。レイシーは「何?」と少し目を細めて顎を撫でた。


「確かに今、我らは友好な状態にある。だからといって真面目な話をする必要・・いや、こうして内々の話をするような仲じゃないはずだが?」
「そうだね。ああ、そうさ。だがこれは別に国同士の話じゃなく、私はかつての学友仲間として話しているだけ。何も意図はないよ、エース。・・・・・・さあ、そろそろアレイ大佐が切れるころだろう。これにて失礼するよ」


 レイシーは最後まで冷たい息のこもった声で言うと、颯爽と身を翻して静かにエリエステスに背を向けた。


「いつまでこのぼやけた平和が続くかな」
「さあね。それはエースたちの活躍によるだろう。・・・・・じゃあ」


 わかっているくせに。お互い、はぐらかしたことぐらいはわかっていた。だが今はこの台詞が最もこの場にふさわしいだろう。そして心内では思う。もう、平和は続かないだろうと。

 レイシーはエリエステスに向くことなく、そのまま前へと進んでいった。小さくなっていく背中はいつまでもエリエステスの視界に入り込み、進んでいないような錯覚をさせる。


 

「・・・・・全く。調子が狂う」


 エリエステスは1人つぶやくと、腕を組んだまま壁にもたれかかった。少し汗ばんだ熱い背中に大理石の柱は心地よかった。だがいつまでもどこまでも体の芯が熱い。


「・・・・・レイシーめ・・・。・・・食えない男になった」


 食ったところで腹が壊れて気が狂うだけだろう・・・そう内心で苦笑すると一息吐いてエリエステスは壁から離れた。腕を解き、太い心を入れたようにピンとした姿勢をとると何事もなかったように歩き始める。


 風が静かに葉を揺らし、薄い葉の隙間から太陽の光がちらちらと顔を出す。


 そこでようやく、エリエステスは今日がいい天気だということを知った。




 

 

 

 

「・・・・・探しましたよ、マルシャル=レイシー様」
「・・・・・・ああ」


 レイシーは顔を上げるとエリエステスと話していた時の温もりを忘れ、元の「上級大将」の能面のようにより冷たい顔に戻った。それでも切れ長の薄茶色の目は彼女を捕らえ、僅かに微笑んだようだった。


「悪かったよ、リーレン」


 名を呼ぶとリーレンは壁から離れ、レイシーの斜め後ろに控えた。その動作はまるで壁から羽化する蝶のように美麗で優雅だった。薄い羽衣を纏っているような錯覚さえ覚えるその動作はいつ見ても不思議で、レイシーとはまた種類の違った冷たさが走っていた。


 だが見た目は至って飾り気のない女だった。年は自分とさして変わらないだろう。取り立てて気立てがいいわけではない上に化粧は眉毛やアイライナーを引いただけ、色素の薄いくちびるは何も弄られていないという素っ気無さ。艶やかな薄青のストレートヘアも後ろに束ねてあるだけ。だがそれがかえって本来持つあでやかなるものを引き出しているのだろうか、見れば見るほど引き込まれそうな女だった。


 見る人が見れば一目でほれるかもしれない。だが今、赤い野獣を見たせいか、レイシーにはただの女にしか見えない。エリエステスの存在はやはり激しいな、とレイシーは密かに笑った。


「上級大将なる人が隣国の城でふらふらしているものではありません。部下や特にアレイ大佐がお待ちしております。早く行きましょう」
「そう急ぐな、リーレン。まだ今日という日が沈むまで時間がある。時間の流れというのは自分でかえるものだよ」


 レイシーは笑う仕草だけしながらいかにも「冗談を言っています」と言わんばかりの笑いを堪えたようなしかめているような、口元を痙攣させながら極めて冷静に言った。


 だがリーレンには通じなかったようだ。彼女は表情一つ変えず、瞬きもせずただ前を向いて口を開いた。


「詩的なものは後で聞きます。時間は誰にでも平等です。一刻一刻、確実に流れていますから。早くしましょう」


 わかった、とレイシーは口を結び、きつく前を見据えた。レイシーの周りに冷気が漂いはじめる。


 氷の女王は冷気を振りまき、雪が降り積もった日のように静かに城を後にした。だが気配はいつまでも残り、エリエステスはしばらく冷たいものを飲みたいと思わなかった。









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